近代日本漢方復興を願った医師
和田啓十郎伝より
時は明治に入り「日本の医学は西洋医学のみ」という流れになり、伝統的漢方医学や、鍼灸治療は正式な医学から外される事になりました。
その流れの中で、伝統的漢方医学の復興に尽力された一人が医師の和田啓十郎という方です。
お墓は谷中にあるそうです。これもご縁を感じます。
明治5年、松山藩士だった和田牧治の七番目の子として生まれました。
幼少期に10歳年上の姉ユキが原因不明の難病にかかります。
なかなか回復しない中、姉ユキが「前に言っていた薄汚いなりの漢方の先生に見てもらえませんか?」と両親に頼む…
こうなったら藁をもすがる思いで頼むことに…
そこに現れたのが、噂では聞いていたが…わらじ履きでてくてくと歩いてやってきた漢方の先生、なんと、髪はボサボサ、服は破れ放題、おまけに無精ひげまで生やしている…さすがの和田家の家族もびっくり!
そしてもっとびっくりなのが、なんとその漢方の先生が調合した煎じ薬を服用したら
みるみると回復、一年後には全快することができましたという事。
その出来事がきっかけで啓十郎は医学の道を進むことに。
日本医科大学の前身済生学舎で学んでいた頃、古本屋で吉益東洞の『医事惑問』という本と出会います。
和田啓十郎が東洞の「万病一毒説」に出会った瞬間でした。
その後西洋医学を納め、郷里で村医を務め、軍医を経て日本橋で開業いたしましたが、
漢方撲滅運動が盛んになり、姉ユキの病が漢方で治ったことを思い出し、漢方復興の為、食べる物も切りつめ、着る物も買わずに『医界之鉄椎』を書き上げ出版致しました。その苦労が災いしてしまい、45歳の若さで生涯を閉じま下が、啓十郎の漢方復興の狼煙は決して消えることなく、昭和46年『医界之鉄椎』は復刻版として発刊され、多くの学者が賛辞の言葉を綴りました。
これを読みながら…もちろん和田啓十郎先生のお陰で今日の漢方が在ることに敬意を表しつつ…髪はボサボサ、服は破れ放題、おまけに無精ひげの薄汚いなりの漢方の先生の存在がとても、とても重要な気がしてなりません…